Yamada Takayuki News - 山田孝之

Friday, November 03, 2006

人の心は優しく、美しい~映画「手紙」 2006/11/03

 「劇場は嗚咽の嵐」というのが、この映画の宣伝文句であるが、少々おおげさにしても、涙をこらえることはできなかった。タイトルは、刑務所にいる兄と、その弟の手紙のやりとりに由来する。

 兄は弟の大学進学資金を稼ぐことができず、強盗殺人を犯してしまう。弟は大学進学をあきらめ、暗い日々を過ごす。神奈川県川崎市の工場での鬱々とした生活。それで、彼には好意を寄せる少女がいた。しかし彼は好意に応えることなく、芸人を目指して工場を去る。

 彼は「殺人犯の弟」として、職や住まいを転々としなければならなかった。芸人として成功しかけるが、兄のことを暴露されて逃げ出してしまう。裕福な家庭の娘と相思相愛の仲になっていたが、あえなく破綻する。

  次に電気店で働くが、やはり兄のことが周囲に知られ、左遷されてしまう。しかし、かねて彼に好意を寄せていた女性が、電気店の会長に「彼を救ってほしい」 と手紙を書く。会長は心を動かされ、彼に「差別があっても、ここから始めるのだ」とさとす。そして「君はもう始めている」と励ます。

 ここが一番泣かされるところである。「差別があっても、ここから始めるのだ」と。この言葉は、あらゆる差別への救いである。差別に悩む人にとって、何よりの励ましである。「今ここから始めること」が、だれにとっても必要なことなのだ。

 その女性と結婚し、ささやかな幸せを手に入れた弟。だが、また近所の人々の心ない行為にあい、ついに兄に縁切りの手紙を書いてしまう。しかし、妻や元芸人仲間の思いやりで、刑務所に慰問に行き、兄と和解する。

 現実的な考え方をすれば、彼はハンディがあるにもかかわらず、次々と職を得ることに成功している。不況で職探しに苦しむ今の時代の人々からみれば、うらやましいことなのかもしれない、と考えたりもする。

 また、優しく強い女性にもめぐり会えている。普通は結婚して生活するだけでも、色々大変な面があるのに、ここではそんな問題は出てこない。しかし、そんなことを詮索するのは野暮というものだろう。

 今、社会問題になっている犯罪被害者の問題にも触れている。理由なく被害者になった人々の苦しみもまた、計り知れないのである。映画の中では「もうおしまいにする」という表現をされている。「許す」まではいかなくても、もう「恨んだりしない」ということであろうか。

 私たちの社会には、理不尽なことも多々ある。けれど、やはり人の心は美しく、優しいものであるということを、映画は伝える。心洗われる思いがする。涙を流して、明日への勇気がわいてくるのである。

(永野薫)